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大量満足【25/02/27】

今日は朝から用事があった。昼に終わったので、焼きそばと何か巻いてるやつを食べた。

もうちょっと食べれたな。「腹八分目」というが、それは満腹の少し手前、8割くらいの量で食べるのが健康に良い、という意味らしい。本当に健康にいいんですか?ねえ!?どっち!?!?!? 語源や由来については、江戸時代の『養生訓(ようじょうくん)』や仏教の教えにあると言われているらしい。江戸時代の医者も、仏教の教え的にも、現代科学的にも健康にいいとされている。

だけど、満腹かどうかなんて目に見えるメーターがあるわけでもない。結局は個人の感覚に委ねられるものだ。私はこの満腹度メーターをよく見誤る。自分の腹なのに、自分が一番よくわかってない。「さすがにこれくらい食べれるだろ」と思ったら全然食べられなかったり、「今回はちょっと少なめにしよ!」と思えば、もっと食べたくなる。マイクラみたいに満腹度メーターが欲しい。視覚的に確認できるようにしたい。

まだ満足してないな、俺の腹が。ヤンニョムチキンとオムそばとまぜそばを買ってきちゃった。家に帰ったら食べよう。俺の腹が満足するまで食べ続ける。

食べ物の満足度について考えてみよう。例えば、自分が一度に50食べられるとして、A. 100の食べ物とB. ちょうど50の食べ物がある場合、Aの方が満足度が高いのではないか。Aなら「まだ食べられる」という余裕があり、満足感を得やすい。一方でBの場合、「もう少し食べたいな」と感じる可能性があり、満たされにくいのではないか。

この違いは、「自分の意思で残しているか」それとも「意思とは関係なく食べ終わってしまうか」にあるように思う。自ら選択できる余地がある方が、心理的な満足感が高くなるのかもしれない。

逆に、食べる時間や量をある程度決めている人は、Bの方が満足度が高そうだ。自分は気分次第で量も時間も決まるので、Aの方が満足度を上げられる。

この違いは、食べ物以外にも当てはまりそう。例えば、ゲームのプレイ時間を決めている人は「ちょうど遊び終わった〜」で満足しやすいけど、時間を決めずにやる人は「まだ続けられる」ことが満足感につながる、みたいな。

そう考えると、「満足」というのは単に量の問題ではなく、自分がコントロールできているかどうか、選択の余地があるかどうかも関係している気がする。

みんな(私以外の全員)は、どうやってちょうどいい量を食べているんだろう。「まだ食べたいなぁ」と感じながら我慢しているのか、それとも経験則でなんとなく調整しているのか。

腹八分目で満足するというのは、なかなか難しい話だ。「もう少し食べたい」と思う量が腹八分目とされるが、”もう少し” と感じている時点で、満足はしていないということになる。

満腹と満足は、同じじゃない。
どこで線引きするかは、自分次第なのかもしれない。

明日も朝早い。書くことがなくなったなどうしよ

明治の瓶入りコーヒー飲料、3月末で終了…需要低迷で瓶の調達難しく - ライブドアニュース
明治は25日、瓶入りコーヒー飲料の販売を3月末で終了することを明らかにした。宅配用で銭湯などに置かれてきたが、4月以降は紙容器に切り替える。販売を終了するのは「明治コーヒー」(180ミリ・リットル

悲しい….温泉に入ったら必ずと言っていいほど飲んでたのに….でも温泉に行く時くらいしか飲まないよな、だからか。

くしゃみが止まらない、昼寝するとき、窓開けて寝たからだな、今日暑かったから…. くそ~完全に風邪だ、いや正確にいうと「まだ」風邪ではない、風邪の前触れを感じる。 部屋の温度を均一にしてくれる機械が欲しい、ないんですかね?ねえ!

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